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東京地方裁判所 平成2年(ワ)4850号 判決

原告

須藤浩之

右訴訟代理人弁護士

古瀬駿介

山岸洋

被告

学校法人北里学園

右代表者理事

西山保一

右訴訟代理人弁護士

畔柳達雄

阿部正幸

唐澤貴夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金七七一〇万一六九四円及びこれに対する昭和六二年七月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和四一年七月一五日生まれの男子であり、後記のとおり被告が経営する北里大学病院(以下「被告病院」という。)において治療行為を受けた当時満二〇歳の学生であった。

(二) 被告は、肩書地に主たる事務所を置く学校法人であり、相模原市内に被告病院を設置し、これを経営している。

2  被告病院の治療行為

原告は、以下の経緯により、昭和六二年六月二二日から同年七月一一日までの間、被告病院において、同病院の医師らにより以下の内容の治療行為(以下「本件治療行為」という。)を受けた。

(一) 原告は、同年六月一八日ころより、右腹部が張るとともに腹痛と悪心を感じたため、同月一九日、福島県いわき市内の永井病院を受診した後、同病院で住所地の東京にある慶応義塾大学病院を紹介され、同病院を訪れたところ、同病院に空室がなかったため、同月二二日、再度永井病院の紹介で被告病院の内科外来を訪れた。

(二) 被告病院の内科塚本雄介医師は、同日超音波検査を実施した上で、両側の嚢胞腎で右腎に炎症がある旨の診断を下し、即日入院を指示したため、原告は以下被告病院で治療を受けることとなった。

(三) 被告病院は、同日以降、原告に対し、嚢胞周辺の細菌感染に対する治療と称して、点滴による抗生物質の投与を施した。

(四) ところが、被告病院の右治療によるも、原告の腹痛は収まらず、六月二二日以降、三八度以上の発熱が断続的に続いた。原告の尿からは多量の蛋白が検出され、また、しばしば吐血を繰り返すに至った。この間原告は、腹部に水がたまって次第に大きく腫れ上がり、激しい痛みに見舞われた。原告や原告の父は、腹部いっぱいに水がたまった状態をみて、「腹にたまった水を抜くような治療方法はないのか。」と担当の塚本医師及び黒川昭医師に申入れをしたが、同医師はこれを取り合わず、感染症対策として更に強力な抗生物質を使うからと言って点滴を続けるのみであった。この間に、原告の腹部は日毎に膨れ上がり、最後には妊婦のような状態となった。

(五) 同年七月二日、原告は左腹部に激痛を覚えひどい吐き気に襲われ、同月三日の午前二時ころから三時ころ、被告病院で再度CTスキャンによる検査がされ、これにより、原告の左腎が既に破裂していることが判明した。同月四日、急きょ被告病院の医師により破裂した左腎の摘出術が施行された。被告病院の医師は、CTスキャンの検査の結果、原告の疾患が、当初診断された嚢胞腎ではなく、実際は両側水腎症であったことに初めて気づき、同日八時ころ、原告の父に対し、当初の嚢胞腎の診断が誤診であった旨認めた。

(六) 原告は、このような経過の後、同月一一日に被告病院を退院し、同日、慶応義塾大学病院に転院し、同病院において、両側腎盂尿管移行部狭窄による水腎症との診断により、同年八月五日、右腎盂尿管移行部結成的切開術を受け、現在に至っている。

3  不法行為

(一) 被告病院内科の塚本医師及び黒川医師は、原告が被告病院に入院した昭和六二年六月二二日以降、原告の左腎が破裂に至った同年七月二日までの間、原告が実際は両側性の水腎症に罹患していたにもかかわらず、超音波検査、CTスキャン等の諸検査から多発性嚢胞腎であるとの誤った診断を下したことにより、水腎症の患者に必要な治療行為、すなわち、まず腎瘻術を施した上で、腎盂尿管形成術等により尿管の尿路障害を改善し、もって腎の貯留水を可及的に排出するという治療行為を尽くすべき注意義務があるのにこれを怠り、多発性嚢胞腎の治療に終始し、原告の水腎症に対し適切な治療を行わず、漫然とこれを放置した過失により、原告の両腎臓の症状を増悪せしめ、七月二日に至り原告の左腎を破裂させ、右腎についても著しく水腎症の状態を進行せしめるに至ったものである。

(二) 塚本医師及び黒川医師は、いずれも、原告の左腎破裂等の事態を生ぜしめた右過失行為につき、民法七〇九条に基づく不法行為責任を負う。また、被告は、同医師らを雇用する者であり、同医師らの前記不法行為につき、同法七一五条所定の使用者責任を負う。

4  損害

原告は、被告病院の医師らによる本件治療行為により左腎を破裂させられ、かつ右腎の状態を悪化させられるに至り、以下のとおりの損害を被った。

(一) 逸失利益

原告は、本件治療当時、満二〇歳の学生であり、左腎の破裂と右腎の機能低下により、通常の健康人と同様の労務に就くことが著しく困難となり、現に企業への就職も断念し、日々軽易な作業によるアルバイト的な生活を余儀なくされている。

被告病院の過誤により被った原告のこれらの障害は、労災保険関係の障害等級認定基準(昭和五〇年九月三〇日基発第五六五号)の第五級一の三に相当する程度の障害であり、原告の労働能力のうち七九パーセントの割合に相当する部分が失われるに至っている。

したがって、原告の逸失利益は、賃金センサス昭和六三年第一巻第一表の「全国性別・学歴別・年齢階級別平均給与額表」の二〇歳の男子労働者・学歴計の年間給与額二六六万一一〇〇円に二〇歳から六七歳までの四七年間の稼働可能年数に相当する新ホフマン指数23.8322を乗じ、これに前記労働能力喪失割合0.79を乗じた金五〇一〇万一六九四円と算定される。

(二) 後遺障害慰謝料

原告は、前記後遺障害のため、未だ年若いにもかかわらず今後一生片腎しかないハンディを背負って生きてゆくことを余儀なくされる身となった。また、わずかに残った右側の腎臓も健全に機能しておらず、今後右腎の働き如何では生命にかかわりかねない状態の下で日々不安な生活を余儀なくされている。

以上の後遺障害により原告が受けた精神的苦痛を金銭に換算するならば、どんなに少なく見積もっても金二〇〇〇万円は下らない。

(三) 弁護士費用

原告は、前記逸失利益及び後遺障害慰謝料を被告に請求すべく本訴を提起するために、当訴訟代理人両名を委任したが、原告が要する弁護士費用は、前記(一)及び(二)の合計金額の約一〇パーセントに相当する金七〇〇万円である。

5  結論

よって、原告は、被告に対し、民法七一五条に基づき、前記損害の合計金七七一〇万一六九四円及びこれに対する昭和六二年七月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二)(1) 請求原因2(一)の事実は認める。

(2) 請求原因2(二)の事実のうち、昭和六二年六月二二日、被告病院の塚本医師が同病院の検査部に超音波検査を実施させ、その結果に基づき原告に即日入院を指示したこと、原告が被告病院に入院し、以後被告病院の治療を受けたことは認め、塚本医師が、原告に対して両側の嚢胞腎による右腎の炎症がある旨の確定診断を下したことは否認する。塚本医師は、この段階で嚢胞腎を最も疑ってはいたが、それと鑑別すべき疾患として水腎症を考えており、両者に即応した治療法を実施していた。

(3) 請求原因2(三)の事実のうち、被告病院が原告に対し、点滴による抗生物質の投与を実施したことは認めるが、これは嚢胞周辺の細菌感染に対する治療のためではなく、嚢胞内部の細菌感染に対する治療のためである。右は、水腎症により腎盂内感染を起こしている場合の治療法としても妥当なものである。

(4) 請求原因2(四)の事実のうち、同年六月二三日以降三八度以上の発熱が断続的にあったこと、原告が腹痛を訴えていたこと(ただし、同月二六日には原告の腹痛はいったん消失し、熱も下がっている。)、原告の尿から蛋白質が検出されたこと、原告が吐血したこと(ただし、原告の吐血はストレスによるびらん性胃炎によるものであり、抗生物質によるものではない。)、原告の腹部が緊満していたこと、原告及び原告の父親が「腹にたまった水を抜くような治療方法はないのか。」というような趣旨の申入れを塚本医師及び黒川医師に行ったこと、その段階で同医師らが右申入れに添うような処置を実施せず、抗生物質の点滴による治療を継続したことは認め、原告の腹部が入院以降日毎に膨れ上がり、妊婦のような状態となったことは否認する。被告病院は、外科的治療を常に念頭に置いており、原告の父親にもその趣旨は伝えていたが、出来るだけ感染を抑えてから手術をするのが適切であると判断し、抗生物質の点滴を継続したものである。

(5) 請求原因2(五)の事実のうち、同年七月二日に原告が腹部の痛みを訴え、同月三日にCTスキャンによる検査を実施し、その結果左腎が既に破裂していたことが判明したこと、同月四日に急きょ被告病院の医師により破裂した左腎の摘出術が施行されたことは認め、同月二日に原告が吐き気を訴えたことは知らない。被告病院の医師がCTスキャンの結果初めて両側水腎症であったことに気づいたこと、同月四日八時ころに被告病院の医師が原告の父親に対し誤診であると認めたことは否認する。被告病院の医師らは、水腎症の可能性については原告が被告病院に入院した時点から認識していた。

(6) 請求原因2(六)の事実は認める。

(三) 請求原因3の事実のうち、原告が両側性の水腎症に罹患していたこと、被告が被告病院内科の塚本医師及び黒川医師を雇用する者であることは認め、その余の事実は否認又は争う(2被告の主張参照)。

(四) 請求原因4の事実は否認又は争う。

(五) 請求原因5の主張は争う。

2  被告の主張

(一) 過失の不存在等

(1) 鑑別診断の困難性

被告病院の医師らが、当初から水腎症の確定診断をなしえなかったことは事実であるが、一般的に言って、嚢胞腎と高度に進展した慢性の水腎症とを鑑別することはそれ程容易ではなく、さらに、本事例においては、①原告の水腎症は、腎部の先天的奇形に伴うもので、多数の嚢胞があぶく状に出来ており、嚢胞腎の状態と全く同じ様相を呈していた、②原告のような先天性の尿管閉塞に伴う水腎症は、小児期に発見されるのが通常であるが、原告は生来健康で、学校検診でも検尿で特に指摘された事もなく、二〇歳まで水腎症の存在が全く分からず、通常の水腎症とは異なる経過をたどっている、という特殊性があり、当初から両側水腎症であるとの診断を下すのは、専門家の問ですら相当の困難を伴うものであったから、直ちに確定診断が出来なかったからといって、被告病院に過失があることにはならない。本件で重要なことは、病名の鑑別のため患者に負担となる検査をあえて行うことではなく、原告の疾病、症状の変化に対応した適切な緊急性を有する治療が施されたか否かである。

(2) 治療方法の相当性

被告病院は、原告の入院当初、感染症に対する治療を優先して抗生物質の投与を継続し、直ちに腎瘻の開設等の外科的処置を行わなかったが、右治療法が医学的にみて相当であることは明らかである。

すなわち、水腎症の治療としては、本来的には、その原因である尿路の閉塞を取り除くことが必要となるが、原告は、尿路感染症を合併しているとの診断で被告病院に入院し、入院後は感染症対策が当面の緊急課題であったのであり、具体的には保存的療法としての抗生物質の投与が必要不可欠であった。原告は、本件において入院後直ちに外科的処置をすべきであった旨主張するが、そもそも本件では、患者の尿量が保たれていて、水腎症の治療として腎瘻を施す適応にはなかったし、本件の原告のような感染症患者に対し、たとえ他部位であっても観血的処置を施すことは、感染症の増悪をもたらし、敗血症を惹起する危険性があり、出来る限り避けるべきものである。また、原告の左腎は感染しておらず、あえて腎瘻を施すべき状況ではなかったし、仮に左腎に腎瘻を造設した場合、当該腎は入院時既に萎縮菲薄化しており、破れてしまっていた可能性が極めて高く、そうでなくてももはや腎臓としての機能を望み得る状態ではなかった。他方、右腎への腎瘻造設により右腎盂の減圧がされたとしても、左腎の破裂が回避されたという保証はない。

そして、原告の感染症が改善する気配を示さぬまま、入院から一〇日が経過し、被告病院において外科的処置を具体的に検討しようとした矢先に原告の左腎が破裂し、予期出来ない左腎破裂を契機として、右腎への外科的処置がされたものであり、結局、総体としての被告病院の処置に医学的に不相当な点はなく、また、左腎破裂との因果関係もない。

(二) 損害の不発生

(1) 本件治療行為が左右両腎に与えた影響

原告の左腎は、被告病院入院時において既に器質的には萎縮菲薄化し、もはや腎臓としての機能は望みえない不可逆的な状態であったのであり、仮に左腎の破裂が避けられたとしても、腎破裂及びこれに伴う腎摘出による損害は実質的にはないと言わざるを得ない。また、右腎は、入院当時既に相当程度悪化していたが、被告病院での治療及び手術の結果、相当程度回復し、慶応義塾大学病院退院時には期待しうる腎機能の限界までに回復している。したがって、被告病院の行った治療行為は全体として効果を挙げており、被告は原告に対し実質的な損害を与えていないことは明らかである。

(2) 原告の現在、将来の労働能力

原告の腎機能は、正常人の五〇パーセント程度の機能を有しており、したがって、適度の蛋白摂取量を守り、残腎にかかる負担が過重にならないような節制を前提とすれば、軽作業は十分可能であり、経過、業務の種類により普通勤務から座業までは可能と考えられる。そして、いずれは透析あるいは腎移植を必要とする時が来るであろうが、これは先天的に両腎腎盂尿管狭窄を有した者の自然経過として、逃れることの出来ない宿命であって、今回、被告病院に入院し、治療を受けたこととは関係がない。

三  原告の反論

1  被告病院の過失等

(一) 嚢胞腎と水腎症との鑑別

原告の「両側腎盂尿管移行部狭窄」は、水腎症の原因として何ら特殊性のあるものではなく、また、先天性の尿管閉塞に伴う水腎症は、本件の如く二〇歳位で発症することもある。そして、一般に、嚢胞腎と水腎症とが超音波検査、CTスキャンの映像上、似た様相を呈することはあるが、DIPの写真等をも検討すれば、水腎症との区別の可能な場合が多く、本件でも、永井病院で撮影されたDIP写真から、水腎症の診断が可能であり、被告病院では、右写真に加えて、超音波検査を行い、原告本人から腹部の緊満感、右側腹部痛及び便秘という症状を把握していたのであるから、これらの情報からも、入院時において、より正確に水腎症と診断し得たはずである。仮に入院時に水腎症と断定し得なくても、本件のように入院後頑強に感染が増悪している経過のもとでは、当然水腎症の疑いを持って尿路の通過障害の部位の検索のための検査を行うべきであるのに、被告病院の医師らは、左腎が破裂するまで鑑別のために改めてDIPやCT検査、超音波検査を行ったことはなく、治療法の全く異なる二つの疾病を鑑別の努力をしないで放置したことは、それ自体過失と言える。

(二) 被告病院の治療方法

水腎症の治療は、尿路の通過障害を除去することであり、これを怠ると通過障害それ自体が腎実質の障害という重篤な事態をもたらす。水腎症に感染症が合併した場合(膿腎症)でも、その治療は感染症に対する理学療法ではなく、尿路の通過障害の除去という直接的な原因の除去により解決されるべきであり、そうでない水腎症の場合に比較して、より治療の緊急性が高い。本件では、原告の入院直後、被告病院の医師らが水腎症を疑い、あるいは泌尿器科の医師のコンサルティングを経て、左右腎の腎瘻開設を行っていれば、腎臓の内圧を下げることができ、従前の状態より腎臓に対する負荷が軽減し、特別の事情がない限り腎臓破裂に至る事態は想定できず、少なくとも漫然と抗生剤を点滴で投与し続け腎臓に負荷を与える事態に比して、腎臓を良好な状態に保つことができたはずである。この点、被告は、手術により敗血症に至る危険性を指摘するが、腎瘻開設術は感染を合併する水腎症の確立された治療法として認められており、右危険性は、抗生物質の投与により十分コントロールすることができるものであるから、本件で腎瘻開設を行わない理由とはならない。また、被告は、原告の腎臓が従前から相当程度悪化していた旨主張するが、原告の腎実質は被告病院入院直前の時点で不可逆的に悪化していたわけではないし、仮に右時点で相当程度悪化していたとしても、腎瘻開設を怠った結果腎機能が全体的に低下した責任をまったく免除するものではない。

被告病院の医師らは、原告の感染が一〇日間の入院期間中増悪していったにもかかわらず、感染症に対する対症療法である抗生物質投与に終始し、結局、根本的な原因たる尿路障害の改善は検討すら行わず、左腎の破裂後初めて水腎症であることに気づいたものであり、右一連の診断治療は、本件事故当時、通常の病院に要求される医療水準に照らし過誤があると言わざるを得ない。

2  原告の被害

(一) 腎機能

原告は、左右の腎の腎盂尿管移行部に狭窄があったのであり、被告病院入院当初は右腹の方に痛みを感じていたが、左腎破裂の後、慶応義塾大学病院で右腎につき腎盂尿管移行部結成切開術を受け、かろうじて腎臓の機能を維持しているのであり、原告の左腎が被告病院入院時既に末期的状態にあったとは言えない。被告病院入院後クレアチニン値の数値の増加及び摘出後の左腎の病理検査の結果からみれば、左腎破裂に至る一〇日間に、左腎、右腎ともに菲薄化が増大したことは明らかであり、入院直後に腎瘻が開設され、左腎が保存され、左右両腎にステントが留置されていれば、原告のクレアチニン値が入院直後より改善された可能性は存する。

(二) 片腎であること

原告は、本疾患にかかるまでは、極めて健康であり、入院や手術の経験はなかったが、左腎破裂の後、激しい運動は出来なくなり、仕事も疲れるものは禁じられ、今までに、疲れやステント取替えの手術などのため四度も職場を変えるなど、腎機能の低下から来る疲れや片腎であることによる不安は極めて深刻である。また、片腎摘出後の残った腎の機能について、健康な腎の場合と本件の如く腎機能が五〇パーセントまで低下した場合とを同一に論じるのは誤りであり、先天的に腎盂尿管移行部狭窄が存したことから、いずれは透析あるいは腎移植を必要とする時が来るとしても、左腎破裂による左腎摘出及び右腎の菲薄化の増大がその時期を早めたことは明らかである。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1の事実、請求原因2(一)の事実、請求原因2(二)の事実のうち、昭和六二年六月二二日、被告病院の塚本医師が同病院の検査部に超音波検査を実施させ、その結果に基づき原告に即日入院を指示したこと、原告が被告病院に入院し、以後被告病院の治療を受けたこと、請求原因2(三)の事実のうち、被告病院が原告に対し、点滴による抗生物質の投与を実施したこと、請求原因2(四)の事実のうち、同年六月二三日以降三八度以上の発熱が断続的にあったこと、原告が腹痛を訴えていたこと、原告の尿から蛋白質が検出されたこと、原告が吐血したこと、原告の腹部が緊満していたこと、原告及び原告の父親が「腹にたまった水を抜くような治療方法はないのか。」というような趣旨の申入れを塚本医師及び黒川医師に行ったこと、その段階で同医師らが右申入れに添うような処置を実施せず、抗生物質の点滴による治療を継続したこと、請求原因2(五)の事実のうち、同年七月二日に原告が腹部の痛みを訴えたこと、同月三日にCTスキャンによる検査を実施し、その結果左腎が既に破裂していたことが判明したこと、同月四日に急きょ被告病院の医師により破裂した左腎の摘出術が施行されたこと、請求原因2(六)の事実、請求原因3の事実のうち、原告が両側性の水腎症に罹患していたこと、被告が被告病院内科の塚本医師及び黒川医師を雇用する者であること、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に加え、甲第一九ないし第二三号証、第二四号証の一ないし五、乙第一ないし第三号証、第一六号証、証人塚本雄介、同北島武之の各証言、本件各鑑定の結果、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件の治療経過等に関し、左の事実が認められる。

1  原告は、昭和四一年七月一五日生まれの男子であるが、本件で治療を受けるまでは、特段既往歴はなく、普通の日常生活を送ってきており、学校検診においても腎疾患を指摘されるようなことはなかった。

2  原告は、昭和六二年六月一八日ころから右側腹部から背部にかけて痛みが出現するとともに、吐き気及び頭痛を感じたため、同日、福島県いわき市内の永井病院を受診した。同病院では、CT(コンピュータ断層撮影法)、超音波診断法、DIP(点滴静注腎盂造影法)の各検査が実施され、多発性嚢胞腎との指摘を受けたので、原告は、同月一九日及び二〇日に慶応義塾大学病院を受診した。同病院内科の小西医師は、CT写真及び既往歴を検討した結果、多発性嚢胞腎というよりは両側性の先天的な腎盂尿管移行部狭窄の可能性を疑った。しかし、同病院には空室がなかったため、原告は、同病院の紹介で、同月二二日に被告病院の内科外来を受診した。

3  被告病院初診時の原告の主訴は右側腹部痛及び発熱(37.5度)であり、右主訴に加え、腹部緊満、白血球増多及び尿沈渣において多数の赤血球、白血球が認められたことから、原告を診察した塚本医師は、右腎における急性の腎尿路感染症の存在を疑い、原告に即日入院を指示した。原告は、被告病院に緊急入院し、同病院循環器内科の塚本医師(主治医)、黒川医師及び近藤伸子医師が治療担当となった(以下右三名を「塚本医師ら」という。)。原告の血清クレアチニン値(腎機能の状態を示す数値で、一を基準として、腎機能が低下すると数値が上昇する。)は、被告病院入院時1.7ミリグラム毎デシリットルであった。

被告病院では、原告に対し、同日超音波検査が実施され、塚本医師は、原告の前記症状、右超音波検査の所見に加え、永井病院で撮影されたDIP写真及びCT写真を検討した結果、原告の疾患として、両側の多発性嚢胞腎及び右嚢胞感染を最も強く疑った(その際、同医師は確定診断は下さなかったが、後記左腎破裂に至るまで、水腎症の可能性を具体的に検討した形跡はみられない。)。そこで、同日以降、原告に対し、右嚢胞内部の細菌感染に対する治療として、点滴による抗生物質の投与が開始された。また、入院時の家族歴調査では、原告の血族に遺伝性腎疾患の患者が存在するか否かは不明であったため、同医師は、原告の両親にも診察を受けるよう勧めたが、原告の両親は受診しなかった。

4  塚本医師らは、原告に対し、当初抗生物質としてアンピシリン(ペニシリン)を投与していたが、同月二三日夕方には体温が四〇度を超えたことから、血液培養を行うとともに、同日から抗生物質をセフメタゾンに変更した。しかし、その後も敗血症様の熱型が持続し、セフメタゾンも効果がないと考えられたため、同月二六日からは抗生物質としてゲンタマイシンが追加投与された。同日夕方には血性吐物が認められ、内視鏡検査を実施した結果、噴門部周辺に多発性びらんが確認された。塚本医師らが飲水と輸液とで尿量を保つよう配慮した結果、原告の尿量は一〇〇〇ないし二〇〇〇ミリリットル程度に保たれていたが、原告の血清クレアチニン値は被告病院入院後徐々に上昇した。原告の症状は、発熱、腹部緊満、右側腹部痛、嘔吐、蛋白尿等であり、小康状態を呈する時もあったが、自他覚症状の改善は明らかでなかった。

塚本医師は、同月二七日、原告及び原告の家族に対し、抗生物質の投与が効果を挙げていないこと、原告の全身状態からして手術は危険を伴うので、今しばらく現在の治療を継続して様子をみること、現在投与している抗生物質(ゲンタマイシン)が効かず、原告が高熱を発するようなことがあれば、敗血症の危険があるので腎摘出の必要があること等を説明した。その際、同医師は、多発性嚢胞腎にしては発症時期が早く、家族歴がないと思われることから、原告の疾患として多発性嚢胞腎以外の他の悪性疾患(腎実質腫瘍等)の可能性を考慮していた。その後も発熱、腹部緊満、右側腹部痛は持続し、同年七月一日には一リットルにも及ぶ嘔吐をするなど、原告の全身状態は軽快しなかった。

5  同年七月二日の朝から、原告に腹膜刺激症状を伴う左下腹部痛が出現したことから、緊急にCT検査を施行した結果、左腎が既に破裂していることが判明した(正常な尿量が排泄されている本件では腎破裂の予想は極めて困難であり、また、破裂の直接の原因は不明であった。)。右検査の結果、原告の疾患が、当初疑われた嚢胞腎ではなく、進行性の水腎症である可能性が極めて強くなったため、同日、被告病院泌尿器科の医師らによって、原告の右腎に経皮的腎瘻が造設され、約一五〇〇ミリリットルの膿尿排泄が行われた。破裂した左腎については、もはや正常な機能は期待できず、これを体内に残しておいても感染などの原因になると判断され、同月三日に左腎の摘出術が施行されたが、右手術の際、原告の疾患が腎盂尿管移行部狭窄を原因疾患とする両側性の水腎症であることが確認された。その後、原告に薬剤性肝障害が認められたため、同月四日以降抗生物質の投与は中止されたが、術後は敗血症様の熱型は消失するとともに自覚症状も軽減した。原告の血清クレアチニン値は、同月三日の9.2ミリグラム毎デシリットルを最高に以後漸次低下し、同月一一日には2.2ミリグラム毎デシリットルとなった。

6  原告及び原告の家族は、被告病院の医師らの誤診が原因で原告の左腎が破裂したものと考え、同病院の治療行為に対し強い不信感を抱いた。そして、原告は、希望により同月一一日に被告病院を退院し、同日、慶応義塾大学病院に入院した。同病院で検査した結果、右腎盂尿管移行部に先天性の狭窄があることが確認されたため、同年八月五日、当該部位に関して形成術が行われ、右尿管内にステントが留置された。原告は、同年九月一日に同病院を退院したが、原告の血清クレアチニン値は、右退院の前日である同年八月三一日には1.8ミリグラム毎デシリットルにまで回復した。

7  原告は、慶応義塾大学病院退院後も、尿路のステント交換のため、六か月ごとに入院を余儀なくされている。原告の現在の腎機能は、血清クレアチニン値で1.5ないし三ミリグラム毎デシリットル程度と推測され、右程度の腎機能を保持していれば、自覚症状はほとんどなく、軽作業は可能であるが、腎機能をこれ以上悪化させないための日常生活上の制約(軽度制限、運動制限等)が存する。

三  次に、甲第一ないし第一五号証、第二五号証、第二七ないし第三〇号証、乙第六号証の一ないし三、証人塚本雄介、同北島武之の各証言及び本件各鑑定の結果によれば、多発性嚢胞腎及び水腎症に関する一般的知見として、次の事実が認められる。

1  多発性嚢胞腎とは、腎実質内に多数の嚢胞の形成をみる遺伝性疾患であり、小児型と成人型に分けられる。両側性にも片側性にも起こるが、両側性に起こることのほうがはるかに多い。小児型は成人型に比べて極めてまれであり、劣性遺伝で、ほとんどが死産、また生後間もなく死亡する。成人型は嚢胞性腎疾患では最も頻度が高く、優性遺伝であるが、臨床症状が出現するのは通常四〇歳前後であることが多い(以下、主として成人型について述べる。)。多発性嚢胞腎の症状は、疼痛、側腹部腫瘤、蛋白尿、血尿、腎機能低下等であり、腎盂腎炎や嚢胞内感染、尿路結石、高血圧等の合併症が多く認められ、合併症を伴わないものも嚢胞性変化が進行し、腎実質組織は次第に縮小して末期腎不全へと移行する。家族歴に必ず同疾患を認める。腎部の触診所見では腫大した腫瘤を両側性に触知する。腎盂造影では、腎盂腎杯の伸展、狭小、閉塞などの変形像が特異的で、クモが脚を広げた形とかワイングラス形などと表現される。CT検査及び超音波検査は、多発性嚢胞腎の疾患診断とともに、嚢胞による腎実質の圧迫萎縮の程度までを診断することができるという利点があり、特に超音波検査は非侵襲的検査として有用である。水腎症、単純性腎嚢胞、腎実質腫瘍等との鑑別を要する。病因は不明であり、高血圧、感染症等の合併症に対して対症的に保存的治療を行うが、嚢胞に対して手術適応がある場合は少ない。

2  水腎症とは、機能的、器質的尿路通過障害の結果、尿流停滞により腎盂腎杯の拡張を来した状態をいう。尿道先端までのいずれの部位の通過障害によっても招来され(腎盂尿管移行部の先天性狭窄は水腎症の主要な原因疾患の一つとされている。)、通過障害が上部尿路(尿管膀胱接合部より上方)にある場合は通常片側性であるが、病変が両側に存すれば両側性となる。通過障害が上位かつ長期間であるほど水腎は高度である。水腎症の症状は疼痛、側腹部腫瘤、排尿障害、血尿、腎機能低下等であり、合併症としては、尿路感染症、尿路結石、腎破裂、高血圧等があるが、徐々に進行した場合はまったく無症状に経過し、尿毒症になって初めて発見されることもある。水腎症は、一種の腎実質の萎縮であり、両側性の場合は最終的には腎不全を来し、片側性の場合は患側腎の完全な機能廃絶を来す。水腎症を診断する際には、以後適切な治療を行うためにも、必ずその原因疾患を明らかにすることが必要であるが、水腎症の診断に比べ、原因疾患の診断はむしろ困難であることが多く、手術時に初めて明らかになることもある。触診は水腎が中等度以上に大きければ多くは可能であり、腎盂造影では拡張した腎盂腎杯及び尿管の像が得られ、これにより通過障害の部位が明らかになることもある。CT、超音波検査等も診断上有力な情報を与える。鑑別すべき疾患としては、多発性嚢胞腎、単純性腎嚢胞、腎実質腫瘍等がある。治療法の原則は、通過障害を解除して、腎機能の回復、保存を図ることにあり、水腎が軽度で自覚症状がほとんどないものは保存的に経過を観察するが、①進行性の場合、②両側尿管閉塞による無尿、尿毒症、③排泄不可能な尿路結石、④感染を繰り返す場合などは手術(腎盂尿管移行部狭窄が原因疾患の場合は腎盂尿管形成術)の適応となる。ただ、手術適応例でも水腎が高度の場合や腎機能が著しく悪い例には、まず腎瘻術を施行し、腎機能の回復をまって手術を行うべきとされる。水腎が高度で、腎機能の回復が期待できない場合には腎摘除術を考慮する。水腎症に感染症が合併したもの(膿腎症)では、腎実質の荒廃が加速度的に進行し、腎周囲膿瘍や菌血症などの重篤な状態となることがあり、感染症を伴わない水腎症に比べ治療の緊急性が高い。

3  多発性嚢胞腎と水腎症は、前記のとおり互いに鑑別を要する疾患であり、一般には各種画像診断法により両者の鑑別は容易であるとされる。しかし、高度に進行した水腎症では、IVP(排泄性腎盂造影法)又はDIPによって腎盂造影を試みても、腎機能が低下しているため造影剤が写りにくく(なお、RP(逆行性腎盂造影法)は形態的に詳細な像が得られるが、感染の危険があるので注意を要する)、CT写真上の菲薄化した腎実質による隔膜様の構造が認められるため、嚢胞腎との鑑別が難しい場合がある。

四  以上の事実を前提に、本件治療行為の適否について判断する。

1  原告は、実際は両側性の水腎症に罹患していたにもかかわらず、被告病院の医師らにより多発性嚢胞腎であるとの誤った診断を下された結果、不適切な治療を受けた旨主張しているので、まず、本件において当初から水腎症の診断が可能であったか否かを検討する。

原告が両側性の水腎症に罹患していたことは前記のとおり当事者間に争いがなく、原告の主治医であった塚本医師が、原告の疾患として当初多発性嚢胞腎の可能性を最も疑い、左腎破裂に至るまで水腎症の可能性を具体的に検討しなかったことは前記認定のとおりであるところ、多発性嚢胞腎の症状と水腎症の症状には共通点が多く、本件の原告の症状も多発性嚢胞腎類似のものであったこと、原告の水腎症は、腎盂尿管移行部の先天的狭窄を原因疾患としながら、本件で治療を受けるまで無症状で経過し、通過障害が上部尿路にあるにもかかわらず両側性であったこと、高度に進行した水腎症は、腎盂造影あるいはCT検査によっても嚢胞腎との鑑別が難しい場合があること、原告は、永井病院において、各種検査を実施された上で多発性嚢胞腎との指摘を受けていることは前記認定したとおりであり、乙第二号証、検乙第二ないし第四号証(いずれも枝番含む。)及び鑑定人北島武之の鑑定の結果(以下「北島鑑定の結果」という。)によれば、永井病院でのCT検査及び被告病院における超音波検査の結果、原告の両腎はいずれも著明に腫大し、腎実質は菲薄化するとともに、腎臓内部が多数の嚢胞様病変により占められているとの画像所見が得られたことが認められ、鑑定人小磯謙吉の鑑定意見が、被告病院入院時に多発性嚢胞腎と水腎症を鑑別することは不可能であった旨結論づけていることからしても、塚本医師が原告の疾患として多発性嚢胞腎の可能性を最も疑ったのは無理からぬ面があることは否定できない。

しかしながら、成人型多発性嚢胞腎にしては発症時期が早く、遺伝性のものではあるが、原告の家族については診察できなかったこともあり、家族に右疾患があったかどうかが不明であるなど、本件の原告には多発性嚢胞腎に符合しない所見がみられ、塚本医師もこのことを認識していたこと、腎盂尿管移行部の先天性狭窄は、水腎症の原因疾患として特異なものではなく、病変が両側に存すれば両側性となること、水腎症は徐々に進行した場合はまったく無症状に経過することもあること、慶応義塾大学病院内科の小西医師が、永井病院で撮影されたCT写真及び既往歴を検討した結果、原告の疾患として水腎症の可能性を疑ったことは、いずれも前記認定したとおりである。そして、検乙第一ないし第四号証(いずれも枝番含む。)、証人北島武之の証言及び北島鑑定の結果によれば、永井病院で撮影されたCT写真では、両側腎門部に著明に拡張した尿管を見ることができ、腎内に認められる低吸収領域は、左右ともに大きさがほぼ均一であり、同病院で撮影されたDIP写真では、遅延して排泄された造影剤がぶどうの房状に丸く膨らんだ像をかろうじて示しており、これらは腎盂腎杯が異常に拡張した像に一致することが認められ、右各事実を多発性嚢胞腎及び水腎症の前記一般的知見に照らせば、本件では多発性嚢胞腎と水腎症の鑑別は決して容易ではなかったが、原告の症状、永井病院及び被告病院での各種検査結果等について子細に検討を行うことにより、被告病院入院当初の時点で水腎症の診断が可能であったと考えられ、この点において塚本医師の前記診断が適切なものであったとは言い難い。

2  原告は、被告病院の医師らは、水腎症の患者に必要な外科的治療を尽くすべき注意義務があるのにこれを怠り、多発性嚢胞腎の治療に終始し、原告の水腎症に対し適切な治療を行わず、漫然とこれを放置した過失により、原告の左腎を破裂させ、右腎についても著しく水腎症の状態を進行せしめた旨主張する。

そこで検討するに、被告病院入院当初の時点で水腎症の診断が可能であったことは前記説示したとおりであり、塚本医師らが、原告の入院後直ちに外科的治療を行わず、感染症対策として、抗生物質の投与による内科的な治療を実施し、右治療継続中に左腎が破裂したことは前記のとおり当事者間に争いがないところ、多発性嚢胞腎の治療法は、合併症に対する保存的治療が主たるものであるのに対し、水腎症の治療法は、通過障害を解除して、腎機能の回復、保存を図ることが原則であり、一般的に両者の治療方法には相違があること、水腎症が進行性の場合及び感染を繰り返す場合などは手術の適応となること、原告の水腎症が進行性であり、強固な感染症を合併していたこと、水腎症に感染症が合併した膿腎症では、感染症を伴わない水腎症に比べ治療の緊急性が高いことは前記認定したとおりであり、原告に対しては、被告病院入院後遅滞なく水腎症の外科的治療が実施されるべきであったようにも思われる。

しかしながら、証人塚本雄介、同北島武之の各証言及び北島鑑定の結果によれば、点滴及び抗生物質の投与は、尿路感染症の治療上必要不可欠の治療法であること、重症の尿路感染症はしばしば敗血症を惹起する危険性があり、そのため多発性嚢胞腎と水腎症の治療方法の相違にもかかわらず、急性細菌感染症を合併したときには、いずれの疾患であっても臨床上感染症対策が優先される場合があること、感染症に対処する場合、まず細菌の種類を血液培養によって同定し、これに効く抗生物質を選択して患者に投与することが重要であるが、細菌の種類を同定し、抗生物質の効き具合を判断するのに通常四、五日以上かかること、そのため、感染症の治療としては、細菌の種類を予想して、それに最も効果的であろう抗生物質の投与から始め、感染症に対する効果をみながら、効果がなければ次のものに変えるという形で抗生物質を選択するのが通常であること、臨床医としては、一週間ないし一〇日間を経過しても抗生物質が効かない場合には、抗生物質の投与以外の治療法の検討を行うのが一般的であることが各認められる。そして、前記認定のとおり、塚本医師らは、急性の腎尿路感染症との診断で被告病院に入院し、全身状態が不良であった原告に対し、感染症対策として、緊急的に抗生物質の投与による内科的治療を実施したが、抗生物質の投与が思うように効果を挙げないため、血液培養を行うとともに、抗生物質の種類を順次変更しながら右内科的治療を継続したが、依然として原告の全身状態は軽快せず、外科的治療も含め治療法を再検討しようとした矢先、入院後一一日目に左腎が破裂し、予期せぬ左腎破裂を契機に外科的治療が実施されたものである。

他方原告の主張する外科的治療の適否について検討すると、水腎症の手術適応に関する前記一般的知見は、患者の全身状態に応じて、緊急的に抗生物質を投与し、手術に耐えられる状態となるまで経過観察を行うことと相容れないものでないことは当然であり、証人塚本雄介、同北島武之の各証言及び北島鑑定の結果によれば、重度の感染症患者に観血的処置を施すことは、敗血症の危険性を増大させるおそれがあること、塚本医師らは、右危険性に対する配慮から、本件においてもなるべく内科的治療により感染を抑えるとの方針で本件治療行為を実施していたこと、水腎症の外科的治療を実施する場合には、通過障害の部位を特定することが必要であるが、そのための検査は患者の身体に少なからぬ負担を与えることが各認められるのであるから、本件において、仮に被告病院入院当初から水腎症の確定診断がされていたとしても、原告の前記全身状態を考慮した場合、外科的治療をいつ実施すべきかについては、治療を担当した医師により意見が分かれるところと考えられ、原告が入院してから左腎が破裂するまでの間に右治療を実施しないことにもそれなりの合理性が認められるというべきである(この点、原告は、手術による敗血症の危険性は、抗生物質の投与により十分コントロールすることができるものであるから、右危険性は水腎症の外科的治療を実施しない理由とはならない旨主張し、証人榊原利典も、敗血症の懸念のため外科的治療を躊躇するのは全くの誤りである旨証言する。しかし、前記のとおり鑑定人北島武之の鑑定結果によれば、感染巣に観血的処置を施すことによる敗血症惹起の危険性は否定できず、本件のような場合には、まず感染症の治療が最優先されるのが通常であることが認められるところ、右証言は、感染症の治療をせずに、まず外科的治療を実施すべきと言うのか明確ではないが、仮に本件のような場合には、直ちに外科的治療を実施すべき旨の証言であれば、前記鑑定の結果に照らし、採用することができず、原告の右主張は理由がない。また、原告は、塚本医師らが外科的治療の是非を泌尿器科の医師にコンサルティングすべきであったとも主張し、証人榊原利典の証言及び甲第二六号証(榊原利典作成の意見書)中には同旨の証言及び記載部分があるが、そのようなコンサルティングが行われるのが望ましいことであるにしても、前記のとおり外科的治療の実施時期についての意見は医師により異なるところと考えられるから、右コンサルティングの結果原告の入院直後に外科的治療が実施されることになるとは限らないし、これを怠ったことが直ちに不法行為を構成するものでもない。)。

以上の事実を総合すれば、原告の入院後、感染症対策として緊急的に抗生物質の投与による内科的治療を実施し、予期せぬ左腎破裂に至るまで右治療を継続した塚本医師らによる一連の治療措置は、原告の具体的症状に即した適切なものであったと認められる。

また、仮に左腎が破裂する前に外科的治療を実施すべきものとしても、原告の主訴が、右側腹部痛、発熱であり、右腎に尿路感染症を合併し、尿もある程度出ていた状況では、まず右腎につき排膿のための腎瘻造設術を施すことが考えられる。そして、左腎が何故破裂したか、本件全証拠によるも、その原因が不明であり、右腎に前記腎瘻手術を施行しても、左腎の破裂を防止でき得たとは認められない。また、右腎については、現在は前記二7の状態であるが、右は先天的に両側腎盂尿管狭窄を有していた者の自然経過というべきであり(鑑定人北島武之の鑑定結果)、被告の本件治療行為と原告主張の損害との因果関係を認めることもできない。

さらに、乙第二、第一〇、第四一号証及び本件各鑑定の結果によれば、原告の左腎は、破裂時において、もはや腎機能の大部分が失われ、破裂部を縫縮して腎を保存しても、今後どれほどの腎機能の回復が望めるか否定的であることが認められ、これを前記水腎症の一般的知見に照らせば、左腎破裂の後、当該腎の摘出に踏み切った処置も適切なものであったというべきであり、結局、本件治療行為について、被告病院の医師らに不法行為は成立しない。

五  よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官滿田忠彦 裁判官加藤美枝子 裁判官足立勉)

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